
故郷を捨てて2ヶ月、京に着いた貫一郎にチャンスが訪れる。新選組、原田左之助の隊が浪人たちと切りあう現場に立ち会ったのである。「南部浪人、吉村貫一郎、新選組に助太刀ば致し申す!」獅子奮迅の活躍を見せた貫一郎を、原田は新選組局長近藤勇に引き合わせる。近藤の命令で神道無念流免許皆伝の永倉新八と剣を合わせた貫一郎は、土方歳三、沖田総司らの面前で永倉を圧倒、剣術師範方の地位を手に入れた。新選組での仕事は、想像を超えて凄まじいものであった。それでも貫一郎は、1人斬れば1両、戦闘に真っ先に飛び込んで5両という手当てを求めて浪人を斬りまくり、「人斬り貫一」「守銭奴」と呼ばれるようになった。すべては貫一郎の「義」のために。貫一郎はその給金のすべてを盛岡の家族に送った。大野の申しつけで盛岡との連絡役を買って出た大野家の中間、佐助に託して。個性派揃いの隊士のなかでも、貫一郎の存在は極めて異色のものだった。「南部盛岡は、日本一の美しき国でござんす。西に岩手山がそびえ、南には早池峰山…」酔えば必ず故郷自慢、家族自慢がはじまる貫一郎を激しく憎む者もいた。斎藤一である。ある夜、2人で歩いていた斎藤はいきなり貫一郎に切りかかる。「田舎者は好かぬ」死に場所を求めて新選組に入った斎藤のような男には貫一郎の「義」は理解できるものではなかった。そんな斎藤に貫一郎は答える。「わしは死にたぐねえ。死にたぐねえから人を斬ります」新選組はまた、近藤を中心とする血の掟にしばられた集団でもあった。裏切り、脱走はもとより、少しの失敗でも「士道不覚悟」との理由で粛清が行われた。昨日までの仲間の首を斬る、隊士の誰もがやりたがらない仕事も貫一郎は受けた。家族を養う道を拓いてくれた新選組に逆らうことは彼の「義」が許さなかった。しかし、その手当てを受け取るたびに、貫一郎の目には悲しみが宿っていった。ある日、貫一郎に縁談が持ち上がる。相手は新選組の理解者、八木源之丞のもとに身を寄せる娘、みよ。家族と離縁すれば、長男嘉一郎も脱藩者の息子という汚名を晴らせるだろうという近藤の勧めに貫一郎は大いに悩むが、最後にはみよにこう告げる。「おもさげなござんす。わしは、世の中がおさまったなら、盛岡に帰りてえと思っておりあんす。妻と、子供らと、精いっぺえのうめえ米ば作りてえのす。そのことだけが、貫一郎のたった1つの望みなのすお許しえって下んせ」慶応2年…天下は大きく変わろうとしていた。仇敵と思われていた薩摩と長州が手を結んだのだ。幕府の、ひいては新選組の脅威となる同盟を仕組んだ男、それが土佐の脱藩浪人坂本龍馬である。貫一郎と龍馬、この2人は後に運命的な出会いを迎えることになる。
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